古代(大和~平安時代)

祇王と京都|白拍子のプライド【シタ妻・サレ妻】京都を生きた女性シリーズ④

『白拍子』とは平安時代末期から鎌倉時代にかけて人気を博した歌舞。女性が白い直垂に烏帽子姿で白鞘巻の刀を差した姿から白拍子と呼ばれ、その美しい姿は時の権力者を魅了しました。『平家物語』で語られる白拍子の祇王は、平清盛の寵愛を受けると同時に平家...
京都を生きた女性たち

建礼門院徳子と京都|栄枯盛衰の目撃者【シタ妻・サレ妻】京都を生きた女性シリーズ③

激動の平安時代末期、弱冠15歳で父・平清盛と平家一門の期待を一身に背負い、第80代高倉天皇と結婚した建礼門院徳子。周囲からは仲がいいと評判の夫婦で、7年という歳月はかかったものの皇子を出産。国母となり女性としては並ぶ者のない地位に上り詰めま...
近代(明治~昭和時代)

魯山人と京都|生誕から終焉まで、天才の足跡を訪ねて

食、書、器と幅広い分野で頂点を極めた北大路魯山人。彼の妥協なき美意識と、あの権威にも屈しない反骨精神は、いかにして育まれたのでしょうか。その答えの多くは、多感な少年時代を過ごし、その才能を育んだ古都・京都の地に眠っています。この記事では、生...
中世(鎌倉~安土桃山時代)

北政所ねねと京都|戦国時代最強のあげまん【シタ妻・サレ妻】京都を生きた女性シリーズ②

半農半兵の家柄出身の夫を天下人まで押し上げた戦国時代最強のあげまん・ねね。北政所といえば、ねねと言わしめるほどの人物ですが、生涯、夫・豊臣秀吉の好色で悩んだと言われています。結婚当初から苦楽を共にし、愛情と信頼が固い絆で結ばれたおしどり夫婦...
古代(大和~平安時代)

和泉式部と京都|“浮かれ女”の寂寥【シタ妻・サレ妻】京都を生きた女性シリーズ①

“浮かれ女”とは藤原道長が恋多き歌人・和泉式部を揶揄したことに由来します。橘道貞という夫がありながら天皇の二人の皇子と身分違いの恋をした和泉式部は、その不倫が原因で夫と離婚。さらに再婚相手の藤原保昌とも関係が破綻してしまいます。魅力的で和歌...
近世(江戸時代)

伏見義民と京都|悪政を直訴した町人たちの悲劇と功績を辿る

伏見義民とは、江戸時代に起こった「伏見義民事件(伏見騒動)」で、伏見奉行の悪政を直訴した伏見の町人たちのことです。京都市の伏見区には、この伏見義民をたたえる碑があちこちにあり、当時の事件の大きさを知ることができます。今回は伏見義民事件がどの...
古代(大和~平安時代)

秦河勝と京都|聖徳太子のブレーンで広隆寺も創建した古代のスター

秦河勝(はたのかわかつ)は、京都の太秦を本拠地とした渡来人・秦氏の族長的存在だった人物です。養蚕や機織りを伝え、また土木技術によって京都の発展に大きく貢献した秦氏。なかでも聖徳太子に重用された秦河勝は、秦氏の勢力を広げ、都の造営にも関わりま...
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伊藤若冲と京都|京の台所「錦市場」で生まれた奇想の画家

江戸時代の画家・伊藤若冲は、京都の青物問屋に生まれ、錦市場と深い関りを持っていた人物です。一般にはそれほど知られていなかった若冲の存在ですが、2000年以降、その人気に火がついてブームにもなりました。『若冲への招待/朝日新聞出版社編』色彩や...
近世(江戸時代)

角倉了以と京都|大阪と京都をつなぐ水運を開拓した実業家

京都の中心街である河原町に流れている高瀬川。繁華街の賑やかさに疲弊しがちな私は、避難するようにして川のほとりに涼みにいくことがあります。実はこちらの高瀬川が、人工的に作られた運河であることをご存知ですか?高瀬川が開削されたのは1611年。江...
古代(大和~平安時代)

小野妹子と京都|聖徳太子に仕えた官人で華道の祖

誰もが社会の授業で習ったことのある「小野妹子(おののいもこ)」。「いもこ」というインパクトのある名前と、意外にも男性ということで頭に入りやすい人物ですよね。「遣隋使」というワードとセットで覚えているけれど、それ以上のことはあまりよく知られて...