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伏見義民と京都|悪政を直訴した町人たちの悲劇と功績を辿る

近世(江戸時代)

伏見義民とは、江戸時代に起こった「伏見義民事件(伏見騒動)」で、伏見奉行の悪政を直訴した伏見の町人たちのことです。

京都市の伏見区には、この伏見義民をたたえる碑があちこちにあり、当時の事件の大きさを知ることができます。

今回は伏見義民事件がどのような出来事だったのか、その歴史を追いながら、伏見義民にまつわる伏見のスポットをご紹介します。

♦♦この記事で訪れた伏見義民ゆかりのスポット♦♦

  • 藤森神社
  • 大光寺(大手筋商店街)
  • 御香宮神社
ライター<br>まる きょうこ
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まる きょうこ

この記事を書いた人:まる きょうこ

京都の魅力を発信するライター。当サイト及び京都の地域メディア「京まちあるき」の運営者。20代の頃より京都を旅し続け、2016年に子連れで関東圏から京都に移住。地域の情報を多数執筆しています。

伊藤若冲も描いた伏見義民事件とは

錦市場生まれの画家・伊藤若冲が描いた「伏見人形七布袋図」。若冲は伏見の名産・伏見人形をモチーフにした作品を残していますが、なかでも七布袋図は「伏見義民」への思いが込められているといわれています。

伏見義民事件とはどのような事件だったのか、ここで簡単に説明しておきましょう。

伏見義民事件とは

伏見義民事件とは、天明5年(1785年)に伏見の町人たちが伏見奉行の悪政を訴えた、町人一揆の代表的な出来事です。

伏見義民事件が起きた当時は、老中・田沼意次が幕政を主導していた田沼意次時代

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田沼意次は、2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で渡辺謙が演じていますね。

伏見の民政を行う伏見奉行にも、親田沼派の人物・小堀政方が抜擢されていました。小堀政方は、初代伏見奉行で作庭家としても有名な小堀遠州の子孫でもあります。

小堀遠州ゆかりの御香宮神社庭園

しかし政方は、天明の飢饉で民衆が苦しむなか、自身の浪費のために過酷な課税などの悪政を敷いてしまいました。

見かねた伏見の町人が立ち上がり、幕府への直訴を企てます。江戸へ向かったのは、文珠九助・丸屋九兵衛・麹屋伝兵衛の3名。直訴の結果、小堀政方は罷免となり、高齢で病死した伝兵衛を除く二人は伏見へ戻ります。

しかしその後、文珠九助と丸屋九兵衛を含む7名の町人が投獄され、過酷な取り調べのなか7名全員が亡くなるという悲劇的な幕引きとなりました。

藤森神社の「伏見義民焼塩屋権兵衛碑」

あじさいや競馬関係者の祈願で有名な藤森神社。参道には「伏見義民焼塩屋権兵衛碑」が建っています。

投獄された7名の町人のうちの一人、焼塩屋権兵衛。深草に生まれ、町年寄として人望の厚い人物だったそうです。伏見区深草直違橋9丁目に、彼の邸宅跡の碑があります。

ライター<br>まる きょうこ
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焼塩屋権兵衛は土器(かわらけ)師だったよう。本名は平田。焼塩屋という名前は、土器が精塩に用いられることから来ているのでしょうか。

藤森神社の碑のそばには、以下のような説明書きがありました。

獄中で亡くなった焼塩屋権兵衛は、直訴に向けて文珠九郎らと会した場所でもある、伏見の善福寺に眠っています。

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藤森神社は、菖蒲の節句(端午の節句)発祥の地。5月5日には藤森祭が行われ、馬術を披露する駈馬神事や武者行列などの神事が見どころです。また6月には紫陽花苑が公開され、色とりどりのあじさいが花を咲かせますので、伏見義民の史跡とともに楽しんでください。

藤森神社の紫陽花まつりについては、以下の記事でも紹介していますので、ぜひご覧ください。

藤森神社で紫陽花まつり開催中|紫陽花苑公開とあじさいの花手水も人気

*藤森神社

所在地:京都市伏見区深草鳥居崎町609

アクセス:京阪電車「墨染」駅より徒歩約5分

伏見義民事件のきっかけとなる出来事も?「大光寺」

大光寺は、伏見桃山の大手筋商店街にひっそりとあるお寺。鎌倉時代に法然6代目の孫弟子が開山し、元々は伏見区桃山町松平武蔵(JR奈良線桃山駅の近く)の地にあったそう。

伏見城の廃城にともない、小堀遠州が現在の地(徳川家光の教育係・青山伯耆守の屋敷跡)へ移しました。

文珠家に秘蔵されていた天明伏見義民伝『雨中之鑵子』によると、大光寺の住持は伏見奉行・小堀政方の悪政に悩まされていたのだそう。

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どのようなことがあったのかまではわかりませんが、これが伏見義民事件のきっかけの一つにもなったようです。

大光寺のある大手筋商店街は、伏見城へ出入りする通りとして造られた、大手筋通りにあります。伏見桃山時代から城下町として栄えた場所で、現在も活気のある商店街。伏見桃山駅から伸びるアーケードが下町の風情たっぷりです。

そんな賑やかな商店街のなかに佇む大光寺。この場所だけ静けさが漂っています。

新選組にまつわる事件の舞台ともなった、歴史あるお寺。ぜひ境内に入ってじっくり参拝してください。

*大光寺

所在地:京都市伏見区伯耆町1-1

アクセス:京阪電車「伏見桃山」駅より徒歩約5分

御香宮神社の「伏見義民の碑」

伏見桃山の御香宮神社には、「伏見義民の碑」があります。明治期の政治家・小室信介が『東洋民権百家伝』で紹介したのをきっかけに、伏見義民事件は自由民権運動の先駆けとして注目されました。

碑が建てられたのは明治20年、事件から100年後のことです。

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碑文は勝海舟、題字は三条実美というのだから力がはいっていますね。碑の礎石も由緒ある寺院のものといわれています。

毎年5月18日には、伏見義民の碑の前で慰霊祭「伏見義民祭」も行われます。

死後に無罪となった伏見義民。当時、直訴は死罪にあたる大罪でした。それが無罪放免となったのは、伏見奉行の悪政に正義が勝ったという、それだけの理由でしょうか。

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伏見義民事件の頃、田沼意次が失脚し、松平定信が次の老中になりました。親田沼派を粛清したかったという、政治的な事情もありそうですね。

御香宮神社は、神功皇后をご祭神とする、歴史ある神社。豊臣秀吉や徳川家康との関わりも深く、境内に湧く名水・御香水や、小堀遠州ゆかりの庭園も見どころ。鳥羽・伏見の戦いでは薩摩藩の陣地にもなり、幕末ファンにも知られる神社です。

伏見義民の碑とともに、ぜひ境内もじっくり参拝してください。

*御香宮神社

所在地:京都市伏見区御香宮門前町174

アクセス:近鉄線「桃山御陵前」駅より徒歩約4分

伏見義民事件の悪役・小堀政方のその後

悪政を振るった小堀政方は罷免となったのち、田沼意次の失脚によってさらに改易(身分はく奪・領地没収などの刑罰)となりました。そんな政方が父・小堀政峯から受け継ぎ、改易後も続けていたのが茶道です。

領地のない政方は小田原藩預かりという身分になりましたが、そこで小田原藩茶頭・冨岡友喜と親交を深め、小堀宗友として『喫茶式』や『数寄記録』を著しました。

ライター<br>まる きょうこ
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流祖の小堀遠州が、千利休の侘びの精神に、華やかで雅な王朝文化を融合した独自の茶風。のちに「綺麗さび」と呼ばれる遠州流茶道を、小堀政方がまとめ伝えるという功績を残したのです。

伏見義民事件では悪役の政方。彼が本当にとんでもない悪奉行だったのか、それとも田沼意次の政治への反発に巻き込まれてしまったのかはわかりません。

小堀家を断絶させながらも、遠州流茶道の伝達に努めたという小堀政方の二つの側面は、「悪役」ではなく一人の人間としての彼を伝えているような気がします。

伏見義民と京都まとめ

本記事では、京都市伏見区に残る歴史的事件「伏見義民事件」と、ゆかりのスポットをご紹介しました。

また後半には、伏見奉行の小堀政方についても少しだけ触れました。

多くの歴史的な出来事には対立する勢力が存在し、そこには悪役として語られる人物が生まれます。しかし悪役にも光を当ててみると、人間らしく魅力的なその人物が浮かび上がってくるのかもしれないですね。

伏見義民、そして伏見奉行を勤めた小堀家。それぞれの歴史上の人物たちに思いを馳せながら、伏見の地を歩いていただけたら幸いです。

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