当ページのリンクには広告が含まれています。

秦河勝と京都|聖徳太子のブレーンで広隆寺も創建した古代のスター

古代(大和~平安時代)

秦河勝(はたのかわかつ)は、京都の太秦を本拠地とした渡来人・秦氏の族長的存在だった人物です。

養蚕や機織りを伝え、また土木技術によって京都の発展に大きく貢献した秦氏。なかでも聖徳太子に重用された秦河勝は、秦氏の勢力を広げ、都の造営にも関わりました

今回の記事では、秦河勝ゆかりの地・太秦と西京極をめぐります。

♦♦この記事で訪れた秦河勝ゆかりのスポット♦♦

  • 三宮神社
  • 広隆寺
  • 大酒神社
  • 木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)
  • 蛇塚古墳

西京極はかつて「川勝寺村」だった

京都の西京極といえば、たけびしスタジアムやわかさスタジアムを有する「西京極総合運動公園」。スポーツのメッカというイメージの強いエリアですが、かつては「川勝寺村」と呼ばれていました。

川勝寺村には「川勝寺(蜂岡寺)」があったそうで、西京極の長福寺周辺に「川勝寺城跡」が残っています。

石碑が建っているとのことで、実際に見てみたいと周辺をぐるぐるまわったのですが、見つかりませんでした。川勝寺村は、広隆寺の旧地とも、河勝の墓所ともいわれています。

三宮神社(川勝寺三宮神社)

川勝寺のかわりに、西京極の地にしっかりと残っているのが、三宮神社です。

三宮神社は、先ほどの川勝寺村城跡にも近い場所にある、秦河勝ゆかりの神社。詳細は不明ですが、八世紀初頭の創建とのこと。西京極エリアの産土神として、玉依姫命・大山祇神・酒解神の三神が祀られています。

秦氏の氏神である松尾大社の御旅所という役割も担い、地域で大切にされている神社です。

*三宮神社

所在地:京都市右京区西京極北裏町13-12

アクセス:阪急京都線「西京極」駅より徒歩約8分

秦河勝が創建したとされる「広隆寺」

国宝の弥勒菩薩半跏思惟像で有名な、太秦の広隆寺。聖徳太子ゆかりの寺院で、創建は秦河勝と伝わっています。

聖徳太子の側近だった河勝が、太子から弥勒菩薩像を賜って創建したのだそう。広隆寺の「広隆」とは、秦河勝の実名なのだそうですよ。

本堂の脇には、秦氏を祀る太秦殿もありました。

本尊は秦河勝です。

弥勒菩薩半跏思惟像を所蔵する霊宝殿では、「秦河勝夫妻神像」も見ることができます。威厳のある河勝の表情が印象的でした。

*広隆寺

所在地:京都市右京区太秦蜂岡町32

アクセス:嵐電「太秦広隆寺」駅より徒歩1分

秦氏の氏神「大酒神社」

広隆寺の近くには、「大酒(おおさけ)神社」という神社があります。元々は広隆寺内に鎮守社として創建され、神仏分離令によって移転したそうです。

大酒神社は秦氏の氏神を祀る神社で、ご祭神は「秦始皇帝」「弓月君」「秦酒公」。

渡来人である秦氏は、秦始皇帝の子孫と自称していました。本当に子孫であったかどうかはわかりません。当時、中国から来た一族だと名乗ることは社会的に有利だったようです。最近では、漫画「キングダム」で秦始皇帝の人気が高まっていましたね。

「弓月君」は秦氏の一族を日本まで引き連れてきた、秦氏の祖とされています。「秦酒公」も秦氏の伝説的な人物で、秦河勝は酒公の6代目の孫に当たるそうです。

大酒神社の鳥居の正面にある石碑。穴の開いたこの形には、何か意味が隠されているのでしょうか。

兵庫県赤穂市坂越にも、字は違いますが「大避(おおさけ)神社」という秦河勝を祀る神社があります。聖徳太子の死後、河勝は曽我氏の政変から逃れるために坂越に渡ったという説があり、その地で80代で亡くなったのだそうです。

*大酒神社

所在地:京都市右京区太秦蜂岡町30

アクセス:嵐電「太秦広隆寺」駅より徒歩約3分

三柱鳥居のミステリー「蚕ノ社」

秦氏のスポットをめぐるのに欠かせないのが、太秦にある「木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)」。通称「蚕ノ社」と呼ばれ、境内にある三柱鳥居の「養蚕神社」が、ミステリースポットとして人気です。

創建は養蚕技術を日本へ伝えた秦氏とされていますが、この三柱鳥居にどのような意味があるのかは謎に包まれています。

三角形の頂点がどこかの方向を示しているとか、三角形の中に積まれている石は何かを封印している証拠だとか、さまざまな説があります。

「木嶋坐天照御魂神社」自体、秦氏の創建ともいわれています。「このしまにますあまてるみたま」という社名にも、何かヒントが隠されているのかもしれませんね。

*木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)

所在地:京都市右京区太秦森ケ東町50-1

アクセス:地下鉄東西線「太秦天神川」駅より徒歩約5分

秦氏の族長クラスの人物が眠る「蛇塚古墳」

太秦は京都市内では珍しく、たくさんの古墳がある地域です。住宅街に突如現れる古墳には驚かされます。

なかでも「蛇塚古墳」はその大きさから、秦氏の族長クラスの古墳とされ、秦河勝が埋葬されているとする説が有力です。

ちなみに「蛇塚」という名前は、石室に蛇が生息していたことから付いたのだそうですよ。

事前に申請すれば、内部の見学も可能です。

*蛇塚古墳

所在地:京都市右京区太秦面影町

アクセス:嵐電「帷子ノ辻」駅より徒歩6分

「秦河勝と京都」まとめ

本記事では、京都の発展に貢献した秦氏の族長・秦河勝ゆかりの地についてまとめました。

日本史、とくに京都の古代史を語るうえで重要な人物「秦河勝」。聖徳太子に重用され、養蚕の技術などを伝えた彼は、当時日本のスター的存在だったようです。

その来歴の多くは謎ですが、ぜひ古代京都のミステリーを紐解きながら、ゆかりの地めぐりを楽しんでいただけたら幸いです。

*スタエフやYouTubeポッドキャストでも秦氏についてゆるく語っています。

*ブログ村のランキングに参加中

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京都 その他の街情報へ
にほんブログ村

この記事を書いた人
まる きょうこ

当サイトの運営者。京都の地域メディア「京まちあるき」も運営。
20代の頃より京都を旅し続け、2016年に子連れで関東圏から京都市左京区に移住。京都の本屋、カフェ、美術館、レトロ建築めぐりが好き。

仕事はWebライターとオンライン書店店主。京都愛を生かし、地域メディアで多数執筆しています。

まる きょうこをフォローする
古代(大和~平安時代)