京都・一乗寺にある「詩仙堂」という山荘をご存知でしょうか?
春は桜、秋は紅葉、雪の日や雨の日にも趣が感じられるような自然あふれる空間で、個人的にお気に入りの場所です。

こちらには元々、「石川丈山」という江戸時代の文人が隠棲していたのですが、文人になる以前は、徳川家に仕える有力な武士だったそうです。
それも身長190cmの大男。当時の平均身長が155cmほどですから、半端ではない大きさです。
武士として豪腕を奮って活躍し、出世の道も見えていた石川丈山が、なぜ文人へと転身することになったのでしょうか。
本記事では石川丈山について、経歴や縁のある場所をめぐりながら、ご紹介します。
♦♦この記事で訪れた石川丈山ゆかりのスポット♦♦
- 詩仙堂
- 蓮華寺
- 渉成園

hotarus
この記事を書いた人:hotarus
大学時代から京都在住の30代。YouTubeチャンネル「hotarusの京都暮らし」も運営中。カフェと寺社仏閣巡りがマイブームです。
石川丈山とは
石川丈山は1583年、現在の愛知県安城市にて生まれました。
代々武士の家系で、徳川家に仕える譜代の家臣だったそうです。
譜代ということは、関ヶ原の戦い以前から徳川家に仕えてきた訳ですから、徳川家からは特に信頼を置かれていた家系だったということですね。
父である信定さんが亡くなった後、16歳の頃から徳川家康に仕えました。
忠勤ぶりによって家康からは厚く信頼されていたそうですが、33歳の頃、大坂夏の陣にて、軍令違反である先陣争いに加わってしまい、閉居を命じられてしまいます。
これを機に徳川家を離れ、文人へと転身。最初は京都にて「近代儒学の祖」として知られる「藤原惺窩」に師事し、朱子学を学びました。
そのまま学問の道に邁進したかった丈山ですが、年老いた母親を養う必要があったことから、広島にある浅野家に13年ほど仕えました。
そして母を亡くした丈山は54歳の頃、再び京都に帰ります。
その後は京都の地に留まり続け、漢詩や作庭、書道、茶の湯など、多方面での実績を残す文人として活躍しました。
詩仙堂にて静かな暮らしを送る

詩仙堂は丈山が59歳の頃に造営した山荘です。
こちらで隠棲しながら学問に没頭していたらしく、現在でもその面影を窺い知ることができます。

詩仙堂には「詩仙の間」と呼ばれる居室があります。
こちらが詩仙堂という名前の由来となっているのですが、中国の詩仙36人を丈山自らで選定し、壁一面にズラリと飾られているのです。
こちらの肖像を描いたのは、幕府御用絵師であった狩野探幽です。
きっと丈山は、文人として人生をリスタートできる事にワクワクしたんだろうなあと思います。
自らの好きな詩人を36人も選定し、超一流の絵師の協力を得て、大好きな詩人たちに囲まれた、最高の居室を完成させたんですよ。
最高の趣味部屋を作ったぜ!みたいなものですよ。
訪れた際は丈山の喜びが伝わってきて、なんだか私も嬉しくなってしまいました。

こちらが詩仙堂の庭園です。
中国(唐)をイメージした「唐様庭園」と呼ばれているそうです。
丸みを帯びた刈り込みはサツキで、5月〜6月にはピンクに色づきます。ししおどしの音色も心地よく、落ち着く空間です。
(ししおどしは、なんと詩仙堂が起源らしいです)
私はその奥の、おぼろげな木々の雰囲気が好きですね。梅雨時には趣深い緑雨を感じられます。

詩仙堂の庭園はグルッと回遊することができます。
入室はできませんが、ちょっとした小屋もありました。丈山はこの小屋で何をしていたのでしょうね。
「ここは書道の部屋で、ここは茶の湯で・・・」
など使い分けていたのでしょうか。妄想が広がっていきます。
過去にはチャールズ皇太子とダイアナ妃が訪問したそうです。そのこともあってか、海外の観光客も多く訪れているようですね。
丈山のこだわりが詰まった隠棲の地が、今や世界中の人々から愛されているなんて、なんとも不思議なものです。
(YouTube動画にてご紹介しています。よければご視聴ください)
蓮華寺の再興に協力する

蓮華寺は元々、現在の京都駅付近に位置する「西八条塩小路付近」にあったそうですが、応仁の乱で荒廃してしまいます。
その後しばらくして、1662年に洛北の地で再興されました。
加賀前田藩の今枝近義が父の菩提を弔う目的でしたが、再興にあたっては石川丈山や狩野探幽、木下順庵、隠元禅師など、当時の著名人たちが協力をしたそうです。
狩野探幽といえば、詩仙堂の「詩仙の間」でご紹介した絵師ですね。そうそうたるメンバーです。
石川丈山は蓮華寺の作庭にも携わったと伝えられていますが、作風からして異なるのではないか、といった否定的な意見もあります。
秋は紅葉の名所として有名なのですが、私はやはり冬や梅雨時の静けさが好きですね。

池泉庭園は池を泳ぐ鯉の姿も見られて、より一層味わい深いなと感じます。
お庭をお散歩することも可能で、洛北の静かな空間で心を休めたい方にはおすすめです。
*蓮華寺
所在地:京都市左京区上高野八幡町1
アクセス:叡山電車叡山本線「三宅八幡駅」より徒歩約7分
渉成園の大規模庭園を作庭する

渉成園は1641年、東本願寺の宣如上人(せんにょしょうにん)が徳川家光から土地を寄進されたことから作られました。
作庭家は石川丈山です。

池泉回遊式庭園となっており、園全体の約6分の1を占める「印月池」と呼ばれる巨大な池の周囲を
ゆったりと巡る事ができます。
詩仙堂や蓮華寺と比べると非常に広大で、訪れた際には、大きな水鳥たちが巣作りのために飛び交っていました。
他にも可愛らしい野鳥が複数みられ、枳殻(からたち)の実がなっていたりと、大自然のあふれる空間でした。
その一方で、日本庭園ならではの趣深い景観も楽しめます。
画像にある「回棹廊(かいとうろう)」という橋は檜皮葺(ひわだぶき)の屋根を備えており、ジャングルさながらの自然空間に上手く調和しているなあと感じました。
橋好きの私にはたまらない渋みがあります。

園内のあらゆる部分に、和の空気が感じ取れます。
石川丈山の「心落ち着く空間で、思う存分学問に打ち込み、平穏に過ごしたい」という願いが最大限に詰まった庭園だな、というのが私の印象です。
*渉成園
所在地:京都市下京区下珠数屋町通間之町東入東玉水町
アクセス:JR京都駅より徒歩約10分
公式サイト:https://www.higashihonganji.or.jp/about/guide/shoseien/
まとめ

石川丈山は武士として厳しい時代を生き抜いてきましたが、彼の作る庭園には常に「静けさ」や「平穏さ」が内在されているように感じます。
武功を上げて出世街道を歩むことが、果たして本当に幸せなのだろうか?
「私はこのまま、強くてデカくて立派な武士になりたいんだっけ?」
「本当の自分は何がしたかったんだろう?」
きっと丈山は、何度も立ち止まって考えたのではないでしょうか。
厳しい封建社会の中で、自らの信念を貫く事は極めて難しかったと思います。それでも丈山は「静かな場所で文人として過ごしたい」という願いを果たし、作庭の分野だけでなく、漢詩や書道など、多方面において高い実績を得る事になります。
私は丈山の庭園を訪れると、彼の覚悟や、達成された時の喜びを勝手に妄想し、とても嬉しくなってしまうのです。
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