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小野妹子と京都|聖徳太子に仕えた官人で華道の祖

古代(大和~平安時代)

誰もが社会の授業で習ったことのある「小野妹子(おののいもこ)」。

「いもこ」というインパクトのある名前と、意外にも男性ということで頭に入りやすい人物ですよね。「遣隋使」というワードとセットで覚えているけれど、それ以上のことはあまりよく知られていないかもしれません。

今回はそんな、誰でも名前は知っている歴史上の人物、小野妹子にまつわる京都のスポットを紹介します。

♦♦この記事で訪れた小野妹子ゆかりのスポット♦♦

  • 頂法寺(六角堂)
  • いけばな資料館
  • 三宅八幡宮
  • 小野神社(崇道神社境内)
ライター<br>まる きょうこ
ライター
まる きょうこ

この記事を書いた人:まる きょうこ

京都の魅力を発信するライター。当サイト及び京都の地域メディア「京まちあるき」の運営者。20代の頃より京都を旅し続け、2016年に子連れで関東圏から京都に移住。地域の情報を多数執筆しています。

小野妹子とは

小野妹子は飛鳥時代の官人で、近江国滋賀郡小野村(現在の滋賀県大津市小野)に生まれたとされています。聖徳太子とは密接な関係にあり、太子の命によって遣隋使など歴史的に重要な役割を担いました。

遣隋使といえば、「日出処天子」のエピソードが有名ですが、その国書を運んだ使者こそ小野妹子だったといわれています。

小野氏は日本の第5代天皇・孝昭天皇の子孫とされている一族です。飛鳥時代から平安時代中期に活躍し、妹子が生まれた滋賀県大津市や、京都市左京区、山科区あたりを拠点としていました。

小野氏のなかには、絶世の美女で知られる小野小町がいます。また、冥土通いの伝説のある小野篁(おののたかむら)も同じ一族です。

小野妹子が初代住職を務めた頂法寺(六角堂)

京都の町なかにある頂法寺は、聖徳太子の念持仏・如意輪観音像を本尊とするお寺です。聖徳太子の命により小野妹子が初代住職を務めたとされています。

頂法寺建立のきっかけは、聖徳太子が四天王寺を建てるために必要な資材を求めて京都を訪れたことでした。その際、太子の念持仏がこの地へ残ると言って動かなくなったという、不思議な伝説が残っています。

同行していた妹子が住職に命じられたのは、小野家が京都に拠点を持っていたからのようです。

頂法寺は本堂の屋根が六角形になっていることから、通称六角堂と呼ばれています。境内には、京都の中心を表すとされる「へそ石」があることでも有名です。

*頂法寺(六角堂)

所在地:京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248

アクセス:京都市営地下鉄「烏丸御池」駅5番出口から徒歩3分

公式サイト:https://www.ikenobo.jp/rokkakudo/

小野妹子から始まった池坊と『いけばな資料館』

頂法寺の住職となった小野妹子は、この地で聖徳太子が沐浴した池のほとりに居を構え、朝夕ご本尊に花を供えたそうです。これが華道の家元「池坊(いけのぼう)」の始まりとなりました。

つまり小野妹子は、華道の祖でもあります。そして池坊という名前は、妹子が池のほとりに坊舎を構えたことによるものです。

妹子は頂法寺の住職として「小野妹子専務」と称していたため、家元には「専」の字を残して代々「池坊専〇」と名前が付くのだそうですよ。

頂法寺に併設されている池坊会館には、「いけばな資料館」があります。華道の貴重な歴史に触れられるので、ぜひ立ち寄ってみてください。

*いけばな資料館

所在地:京都市中京区饅頭屋町595

アクセス:京都市営地下鉄「烏丸御池」駅5番出口より徒歩3分

公式サイト:https://www.ikenobo.jp/rokkakudo/(頂法寺公式サイト内)

小野妹子が建立した上高野の三宅八幡宮

京都の出町柳から鞍馬や貴船へと走る叡山電鉄。その途中に、「三宅八幡」と「八幡前駅」という駅があります。どちらも、上高野にある神社「三宅八幡宮」に近い駅です。

三宅八幡宮は、小野妹子が創建した神社です。

遣隋使として隋に向かう際、妹子が九州で病気にかかり、宇佐八幡宮に祈願して病気を治したというエピソードがあります。聖徳太子の没後、その恩に報いる気持ちを込めて、小野氏の拠点であった上高野の地に八幡神を勧請したのが三宅八幡宮とのこと。

三宅八幡宮は、明治天皇が幼少期に病を患った際、祈祷が行われた神社でもあります。その当時は子どもの疳の虫封じの神社として、とても人気があったのだそう。境内には、当時の様子を描いた貴重な絵馬が展示されている「絵馬展示資料館」もあります。

*三宅八幡宮

所在地:京都市左京区上高野三宅町22

叡山電車「八幡前駅」駅より徒歩2分、「三宅八幡駅」駅より徒歩6分

公式サイト:https://www.miyake-hachiman.com/

小野妹子が祀られている小野神社

上高野の地には、もう一つ小野妹子にまつわる場所があります。崇道神社の境内にある「小野神社」で、小野妹子を始めとした小野一族が祀られています

崇道神社は怨霊で知られている早良親王を祀る神社ですが、この境内に小野神社があるのは、やはり上高野が小野一族のゆかりの地だからのようですね。

また境内の裏山には、妹子の子・小野毛人(おののえみし)の墓誌も見つかっています。天武天皇のもとで、毛人も妹子のように官人として勤めていました。

ちなみにこの墓誌は、墓泥棒が暴いた石郭から発見されたと伝わっています。一旦は近くの村にあるお寺に置かれたものの、その村が荒れ果ててしまったことから、祟りを恐れて元の場所に戻されたのだとか…。ちょっと怖いエピソードですね。

*小野神社(崇道神社)

所在地:京都市左京区上高野西明寺山34

アクセス:叡山電車「三宅八幡」駅より徒歩8分

まとめ

この記事では、小野妹子にまつわる京都のスポットを紹介しました。今回、妹子がどのような人物だったのかという部分については、あまり資料が見つかりませんでした。しかし、遣隋使を務めたり頂法寺の住職となったりしたことから、聖徳太子からの信頼が厚い人物だったのは確かですね。

意外にも、華道の祖という一面もありました。聖徳太子が亡くなった際にも、妹子は墓前に花を供えたのだそうです。こうしたエピソードから、妹子は真面目で誠実な人物だったような気がするのですが、いかがでしょうか。

京都で小野妹子にまつわるスポットに訪れたら、ぜひその人物像にも思いを馳せていただけたらと思います。

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