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魯山人と京都|生誕から終焉まで、天才の足跡を訪ねて

近代(明治~昭和時代)

食、書、器と幅広い分野で頂点を極めた北大路魯山人。彼の妥協なき美意識と、あの権威にも屈しない反骨精神は、いかにして育まれたのでしょうか。その答えの多くは、多感な少年時代を過ごし、その才能を育んだ古都・京都の地に眠っています。

この記事では、生誕の地から魯山人が認めた本物の味や芸術の神髄、そして終焉の地までの足跡をたどります。さあご一緒に、その人物像の核心に迫る旅へ、ご案内しましょう。

ライター<br>しぶた かおり
ライター
しぶた かおり

この記事を書いた人:しぶた かおり

読者視点を大切にするWebライター。4年間の経験でWebライティング技術を磨き、介護から工芸、文化まで幅広い分野で記事作成の実績を重ねています。夫は備前焼作家。陶芸の魅力と田舎暮らしのリアルを発信中。

魯山人の原点へ。上賀茂での誕生と苦難の少年時代

北大路魯山人の美学を語る上で欠かせない原点。それは、光と影が交錯する、京都・上賀茂で過ごした少年時代にあります。後の天才を形作った、苦難と発見に満ちた彼のルーツを、ゆかりの地とともに訪ねてみましょう。

魯山人生誕の地

上賀茂神社

北大路魯山人は、京都が誇る世界文化遺産・上賀茂神社に代々仕える、由緒正しい家柄に生まれました。しかしその恵まれた出自とは裏腹に、生後すぐに里子に出され、複雑な少年時代を過ごします。この経験が、後に彼を特徴づける「本物」だけを求める強い探求心と、誰にも媚びない反骨精神を育んだのかもしれません。

大田神社

現在、彼が生まれたことを示す石碑が、上賀茂神社のすぐ近くにある大田神社に静かにたたずんでいます。多くの文化人が集う京都の、さらに神聖な場所で生を受けたという事実は、食と美を極めた天才の非凡な生涯を物語る、まさに原点と言えるでしょう。

*北大路魯山人生誕地

所在地:京都市北区上賀茂北大路町(大田神社前)

アクセス:京都市バス「上賀茂神社前」より徒歩10分

学びの場「梅屋広場(旧・梅屋小学校跡)」

小学校の椅子(イメージ)

魯山人の知性と教養の基礎が培われたのが、「梅屋小学校」でした。学校は数少ない安らぎの場であり、知識欲を満たす貴重な時間であったことでしょう。現在、当時の校舎は残っておらず、「梅屋広場」としてその名残を留めるのみとなっています。

しかし、この場所で学んだ日々が後に古美術の目利きとなり、美食を語る上で膨大な知識を披露する魯山人の礎を築いたことは間違いありません。広場に立ち、若き日の彼がここで何を学び、何を感じていたのかに思いをはせるのも、旅の醍醐味の一つです。

*梅屋広場

所在地:京都市中京区梅屋町174-1

アクセス:京都市バス「府庁前」より徒歩1分、地下鉄烏丸線「丸太町駅」より徒歩4分

少年時代の魯山人が過ごした「わやくや千坂漢方薬局」

梅屋小学校を卒業した魯山人が、10歳頃から丁稚奉公として働いたのが、「わやくや千坂漢方薬局」です。多感な少年期に経験したこの厳しい奉公生活は、彼の後の人格形成に大きな影響を与えたかもしれません。

特筆すべきは、この薬局が現在も京都の烏丸二条で営業を続けていることです。表立って芸術の才能が認められたわけではありません。しかし若き魯山人は、ここで未来へのエネルギーを静かに蓄えていたのではないでしょうか。その歴史の証人として静かにたたずむ店の姿は、彼の人生に一層の深みを与えてくれます。

*わやくや千坂漢方薬局

所在地:京都市中京区二条通烏丸東入る仁王門町3千坂御所南ビル1F

アクセス:地下鉄烏丸線「烏丸御池駅」または「丸太町駅」より徒歩3分

食の求道者が愛した京都「本物」の味

魯山人にとって食とは、単に空腹を満たすためのものではありません。ごまかしのきかないシンプルな食材にこそ、作り手の哲学と素材の真価が現れると考えていた彼は、生涯をかけて京都の本物の味を探し求めます。ここでは、そんな彼の厳しい目利きにかなった、よりすぐりの名店をご紹介しましょう。

美食の原点「山ばな平八茶屋」

とろろ(イメージ)

安土桃山時代に街道茶屋として発祥した、老舗料亭「山ばな平八茶屋」。芸術家であり美食家でもあった魯山人が、足繁く通ったことでも知られています。ここで多くの旅人の食を支えてきたのが、名物の麦飯とろろ汁です。

この店と魯山人の関係の深さを示す逸話が残っています。ある日、厨房で19代目当主が作る“ごりの飴焚き”を味見した魯山人が「これは甘すぎや」と評したところ、彼は「甘ない。これが、平八の味や」と言い切りました。美食の大家である魯山人を前にしても揺るがない当主の味への確信。そんな緊張感のあるやり取りが交わされるほど、魯山人はこの店の味と深く向き合っていたのです。

平八茶屋の座敷から望む美しい日本庭園とともに、その逸話に思いをはせてみてはいかがでしょうか。

*山ばな平八茶屋

所在地:京都市左京区山端川岸町8-1

アクセス:京都バス「平八前」下車すぐ

公式サイト:https://www.heihachi.co.jp/

豆腐へのこだわり「平野とうふ」

雪虎(イメージ)

あの魯山人が食べ、豆腐嫌いで知られた白洲次郎でさえ好んだと言われる、歴史ある豆腐店「平野とうふ」。魯山人が生涯をかけて求めた本物の味は、こうした奇をてらわない実直な逸品の中にこそありました。

そんな魯山人は、夏の食欲がない時に好んで食べたという雪虎(ゆきとら)という豆腐料理を自身の著書で紹介しています。これは焼いた揚げ豆腐に、たっぷりの大根おろしを乗せてしょうゆで味わうシンプルな料理。焼き目のついた豆腐に白い大根おろしがかかった様子を、虎の模様に見立てた粋な呼び名です。

平野とうふの豆腐で、この雪虎を再現してみるのも面白いのではないでしょうか。魯山人が愛した豆腐の味と、彼が楽しんだ食べ方。その両方に触れることで、彼の食へのこだわりをより深く理解できるはずです。

*平野とうふ

所在地:京都市中京区姉小路通麩屋町角289

アクセス:地下鉄東西線「京都市役所前駅」より徒歩5分

魯山人芸術の神髄に触れられる場所

食の探求者として知られる魯山人ですが、その本質は、自ら表現する「総合芸術家」という側面にこそあります。書や絵画に留まらず、ついには自ら土をこねて器まで創り上げたのは、料理と器が一体となった時にこそ食が調和するという彼の哲学の表れでした。

美術館から料亭、そして街角へ。さまざまな形で今に息づく、彼の芸術の神髄に触れていきましょう。

作品との対峙「何必館(かひつかん)・京都現代美術館」

何必館・光庭

魯山人の多岐にわたる芸術作品を、静かな空間でじっくりと鑑賞できるのが、祇園のにぎわいから少し入った場所にある「何必館・京都現代美術館」です。美術館の魯山人コレクションの核心は、設立者であり館長を務める梶川芳友氏が、約50年という長い歳月をかけて個人的に集めてきた作品です。

生命力あふれる力強い書と、料理を盛り付けてこそ真価を発揮するよう計算しつくされて作られた器の数々。一つ一つの作品と対峙していると、彼の妥協のない美意識や、内面に秘めた純粋さが伝わってきます。魯山人芸術の神髄に触れるなら、ここは外せない場所です。

*何必館・京都現代美術館

所在地:京都市東山区祇園町北側271

アクセス:京都市バス「祇園」徒歩2分

公式サイト:http://www.kahitsukan.or.jp/

魯山人の器を今に伝える「京都吉兆」「瓢亭」

魯山人の器(何必館入館券より)

器は料理の着物」という有名な言葉を残した魯山人。彼の器は、飾られるためだけでなく料理が盛られ、使われることで初めてその命が輝くと考えられていました。その妥協のない美意識は、日本を代表する料亭「京都吉兆」や「瓢亭」のおもてなしの中に、今も確かに息づいています。

これらの料亭では、魯山人の作品を含む最高峰の器と、季節を映した至高の料理が互いを高め合います。それは単なる食器ではなく、もてなしの心を表現する舞台そのもの。実際に魯山人の器で食事ができるかは縁次第ですが、ここで体験する美の饗宴は、魯山人が生涯をかけて追求した総合芸術の神髄に触れる、ぜいたくな時間と言えるでしょう。

*京都吉兆

所在地:京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町58

アクセス:京福電鉄「嵐山駅」より徒歩6分

公式サイト:https://kyoto-kitcho.com/

*瓢亭

所在地:京都市左京区南禅寺草川町35

アクセス:地下鉄東西線「蹴上」徒歩6分

公式サイト:http://hyotei.co.jp/

街角に残る魯山人の書「八百三(やおさん)」

魯山人の芸術は、美術館や料亭だけに留まりません。その才能の息吹は、京都の街角でも感じ取ることができます。代表的な場所が、創業300年以上の歴史を持つ「八百三」です。この店と魯山人を結びつけているのが、若き日に彼が自ら彫り上げた柚味噌(ゆうみそ)の看板です。

店の軒先に掲げられている木彫りの看板はレプリカですが、店内には若き日の魯山人が彫ったものがあります。力強くどこか温かみのある書体は、人々の目をひきつけます。美術品としてではなく、日々の営みの中に溶け込み、店の顔として今も生き続けているようです。

*八百三

所在地:京都市中京区姉小路通東洞院西入ル270

アクセス:地下鉄「烏丸御池」徒歩1分

公式サイト:https://www.yaosan-yuumiso.com/

終焉の地、そして静かなる眠りへ

あらゆる分野で頂点を極めた魯山人が、全ての創作活動を終え、最後に安らぎを求めた場所が京都にあります。波乱に満ちた人生の終着点、そして静かなる眠りの場所を訪ねましょう。

安息の場所「西方寺」

西芳寺

多くの文化人と交流し、時には激しく対立しながらも、自らの美学を貫き通した波乱に満ちた人生でした。そんな彼が全ての創作活動を終え、静かに眠る場所が、京都市北区にある西方寺です。

なぜこの場所が選ばれたのか、その理由は定かではありません。しかし生涯を美の闘争にささげた彼が、最後に安らぎの場所として選んだのがこのお寺であったという事実は、われわれに深い感慨を抱かせます。生涯をかけて美を追求し続けた彼が、ようやくたどり着いた安息の地。訪れる人は、彼の作品を思い浮かべながら、その魂が安らかであることを静かに願うのでしょう。

*西方寺

所在地:京都市北区西賀茂鎮守菴町50

まとめ

上賀茂神社・社家町

京都・上賀茂での生誕から、西方寺での静かなる眠りまで、北大路魯山人の足跡をめぐってきました。彼は単なる美食家でも、芸術家でもありませんでした。食、書、器のすべてに妥協なき美を求める「総合芸術家」であり、その生涯は美を追い求める闘いだったと言えるでしょう。

今回ご紹介した場所を訪れることは、彼の作品に触れるだけでなく、その反骨精神や美意識の原点に触れる旅でもあります。あなたも、魯山人が愛した京都を歩き、その息遣いを感じる旅に出かけてみてはいかがでしょうか。

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