哲学者ニーチェってどんな人?思想についても解説!

全記事

「将来への不安感をなくしたい」
「気の弱い自分を変えたい」

そんなお悩みはありませんか?
今回はドイツの哲学者ニーチェの
「ツァラトゥストラはかく語りき」という作品をご紹介します。

こちらの本は
「前向きに生きていく力」を与えてくれる名著として
広く知られています。

ニーチェの生涯をご紹介するとともに、
「ツァラトゥストラはかく語りき」について分かりやすく解説します。

ニーチェの生涯


フリードリヒ・ニーチェは
1844年、ドイツの前身であるプロイセンの東部にある
「レッケン」という小さな村で生まれました。

幼少期のニーチェは天才少年として有名でした。
勉強のみならず、作曲ができ、詩も書けたのです。

そして20代半ばという若さで
スイスにあるバーゼル大学の教授に就任します。
当時の彼は教員資格も博士号もなく、
ただの学生という立場で教授に推薦されたそうです。
相当優秀な学生だったのですね

しかし、30歳頃には状況が一変してしまいます。
苦労して書き上げた書籍は売れず、
授業をやっても学生が集まらない。
教授に推薦してくれた恩師や
友人からも見放されてしまいます。

そんなつらい状況の中で、執筆されたのが

「ツァラトゥストラはかく語りき」です。
ただこの本に関しても、内容が難解であるとして、
発売当時は全く売れませんでした。
4部構成にして、4冊に分けて出版しましたが、
なかなか売れませんでした。

しかし、ニーチェはその後も
「ツァラトゥストラはかく語りき」の解説書を次々と執筆するのでした。
それだけ心血を注いだ一作だったのですね。

1889年、彼が45歳の頃にはついに精神の限界を迎えてしまいます。

イタリアのトリノの広場で
ムチで叩かれている馬に駆け寄り
その馬の首を泣いて抱きしめながら発狂し、
そして意識を失ってしまったのです。

幸い意識は戻ったのですが、
彼の心は完全にこの時壊れてしまいました。

そして皮肉なことに、
このタイミングになってようやく
ニーチェの著作に対する評価が高まりました。

ニーチェ文庫という出版社まで出来て
著作がどんどんと売れていきます。
ニーチェにその状況を言い聞かせても何も認識することができませんでした。
そして精神に異常が出始めてからおよそ10年後、
55歳という若さでニーチェはその生涯を終えました。

「ツァラトゥストラはかく語りき」の解説


「ツァラトゥストラはかく語りき」とはどのような内容だったのかを解説します。

まず、「ツァラトゥストラ」という名前のおじさんが
10年間山ごもりをし、孤独の中で知恵を蓄えていました。

その知恵を他の人々にも授けたいと考え、下山します。
そしてその中で様々な人と出会い語り合いながら、
自分の知恵を分け与えていくというのが大まかな内容です。

この「ツァラトゥストラ」は
ニーチェ自身が投影されていると解釈されています。
なので、ツァラトゥストラが人々に語っていることは
すべてニーチェの言葉として捉えられています。

「神は死んだ」


下山したツァラトゥストラは麓で
歌を歌いながら神様を称えている老人と出会います。

するとツァラトゥストラは、心の中で次のようにつぶやきました。
「この老人は、知らないのか。神は死んだということを」

ニーチェといえばこの言葉ですよね。
この「神は死んだ」という言葉を言い換えると
この世にはもう「絶対的な真理」は無いということです。

科学技術が発達する以前は
自然界で巻き起こる大災害などは
人類を超越した神々のもたらしたものであると解釈されていました。

そうした中で、人類は科学技術を発達させ、
メカニズムを科学的に解明していきました。
結果的に、神の存在を前提とした世界を
否定することとなったのです。

例えば、神々の作りし地球こそが天体の中心であるという
天動説は、地動説の解明により否定されましたよね。

そのような現象は自然科学のみならず、哲学においても同様でした。
プラトンのイデア論では、人類普遍の善というものが存在する前提で
物事が考えられていましたが、ニーチェはそれすらも否定し得ると考えたのでした。

では、この世界に絶対的真理がない状態だと
何がいけないでしょうか。
現代に置き換えて考えてみます。

ひと昔前までは、

良い大学、良い会社に入れば一生安泰という時代がありました。
そのために、一生懸命勉強して、就活で人気企業に入れるよう
努力してきた訳です。

しかし、現在はどうでしょうか。
大企業に入社することを絶対的真理であるとして信仰し、
終身雇用で一生面倒をみてもらえるような時代は終わりつつあります。
つまり、頑張れば人生安泰なんて保証はもう無くなってしまいました。

将来何を目指し、何を頑張れば良いのかが分からず、
漠然とした不安だけが日に日に増長していってしまう。

このように、絶対的に信じられるものを失って
生きる目的を見失っている人を
ニーチェは「末人」と呼びました。

超人思想


ニーチェは「末人」になってしまってはいけないと警鐘を鳴らします。
末人ではなく、「超人」を目指すべきであると提起します。
作中では「超人思想」について、次のように語られます。

ツァラトゥストラが町の市場へ向かうと、
綱渡りのショーが開催されていました。
多くの人々がショーを観に集まっています。

すると彼は突然、民衆に向けて演説を始めます。

「今から皆さんに超人について教えます。
人間といういう生き物は、
動物と超人との間につながる1本の綱なのです。
渡り切って向こう側に進むのも危うく、途上にあるのも危うい。
後ろを振り返るのも危ういし、立ちすくむのも危ういのです」

少しイメージが難しい内容なので、噛み砕いてご説明します。
まず超人とは何かというと、


「不屈の精神力と力強い意志を持ち
自らの人生を肯定しながら、より高みへ向かおうとする存在」

とイメージしてください。

そして人間は、超人になるために
綱渡りのような危険を乗り越えていく存在なのである
という事を言っているのですね。

ではどうやったら超人になれるのでしょうか。
ニーチェは、
人間の精神には3段階あり、レベルを上げていくことで
超人に近づくことができると考えました。

その段階には名前が付いており、
第1段階が「ラクダ」
第2段階が「獅子」
第3段階が「幼子」
です。

ラクダの段階というのは「重い荷物を背負って我慢する」ステージです。
自分に積極的に負荷を掛け、自分の強みを得る段階ですね。
学校での勉強や会社での仕事など、
それぞれにラクダのステージがあります。

次の段階は「獅子」です
このステージは窮屈な状態から解放され、自由を求めることができる段階です
既存の価値観に対して、はっきりと自分の言葉で「 NO」 と言える、
独立の精神を持った段階です。

そして最後の第三段階になると「幼子」になります。
自らの創造力に身を委ね、勝手に自由気ままに遊ぶ。
まるで幼い子どものような無邪気な精神を獲得します。
それこそが最終段階だというわけです。

どれだけ大人が世の中の理不尽さを嘆いても、
将来を悲観しても、
幼い子供には関係がありません。
彼ら彼女らにとって世界は無条件に肯定されるものであり
無心に遊び、自由に創造的に今この瞬間を生きています。
つまり超人たるものは
この3つのプロセスを経て最終的には幼子のような精神を
その身に宿すものなのだというわけです。

永遠回帰


永遠回帰とは、同じことが無限に繰り返されるという仮説のことを指します。
具体的に言うと、
今の人生を永遠に繰り返して、前世も来世もずっと同じ人生を繰り返して
無限ループの中をグルグルと生き続けている
という仮説です。

よほど恵まれた人でない限り
忘れ去りたい過去のトラウマや失敗の一つや二つあるものです。
それを無限に経験し続けるのは
過去の記憶が消去されているとはいえ
誰だってイヤになってしまいそうですよね。

だから、今この瞬間から人生をポジティブなものに切り替え、
永遠に回帰しても良いと思えるように生きましょうというのが、
ニーチェの思想なのです。

そのようにして永遠回帰を受け入れるようになる為には
「ニヒリズム」を克服する必要があると、ニーチェは考えます。

「ツァラトゥストラはかく語りき」では次のように紹介されています。
ツァラトゥストラは、一人の若い牧人が倒れているのを発見します。

「牧人」というのは馬や羊などのお世話をする人です。

そしてその牧人の口から黒い蛇の尻尾がにょろっと出ているのを発見します。
牧人はあまりの苦しさにのたうちまわります。

ツァラトゥストラは懸命に蛇を引きずり出そうとしますができません。
そこで、「蛇の頭ごと噛み千切ってしまえ」と叫びます。
牧人は言われるがままに蛇を噛みちぎり、生還することができました。

この牧人はニヒリズムに囚われた人間のことを指しているのです。
つまり、生きている希望を見出せずにいると、ニヒリズムに陥ってしまい、
牧人のように息苦しい人生を送ることになってしまうという訳ですね。

牧人が自分を苦しめる蛇を噛みちぎる描写がニヒリズムの克服を意味しています。
もう少し具体的に言えば、不安や恐怖、自己不信といった
負の感情にとらわれ人生を悲観的に捉えることしかできなかった
弱い自分を自らかみ殺したんです。

そして新たな力強い自分に生まれ変わる覚悟を決め
自分の人生を肯定的に捉え直すことに成功します。


これこそが永遠回帰の思想を受け入れ実践し、
自らの生涯を肯定したものの姿であるというわけです。

どんなにつらい状況に居たとしても、今生きているこの瞬間を
「これこそが私の人生なのだ」と自信を持って肯定できる人は
これまで歩んできた過去を振り返っても
「これでよかったんだ」と肯定することができます。

そして未来に対しても臆することなく前向きに歩んで行くことができます。
さらにこれが永遠にループするとなれば、
自分の人生全てが 永遠に肯定され続けるのです。
そしてこの思想を受け入れたものが超人となれる訳ですね。

もちろんそこに至る道は決して楽ではありません。
1本の綱を渡るように大きな危険を伴います。
しかし絶対に安全な道があるとかたくなに信じ、
何もせず時が経つのをただ待っているだけでは
あの牧人のように苦しむしかありません。

ならば、自分の弱さを断ち切って、勇気を持って前進しましょう。

運命愛


「運命愛」とは
自分の運命を全て受け入れ、愛することを意味します。
ニーチェはこの世界に絶対的な善も悪も存在しないと考えました。

ならば、自分の人生で起こる様々な出来事一つ一つに
これは楽しかったから良い
これはきつかったからダメと
部分的に受け入れるのではなく、
そのすべてを愛することの大切さ
を説いたのです。

加えてニーチェは、
たった一度でも本当に魂が震えるほどの喜びを味わったのなら
その人生は生きるに値すると考えます。
つまり生きている間に
言葉では言い表せないような喜びを手に入れさえすれば
全ての苦しみを引き連れてでも
自分の人生をもう一度生きることを求めることができます。
そのため、どんな運命であろうとと愛し、
自分の人生を前向きに生きれば良いのです。

まとめ


ニーチェの思想について
ニーチェの生涯を踏まえて、
著書の「ツァラトゥストラはかく語りき」の内容とともにご紹介しました。

ニーチェ自身の人生は悲惨な結末を迎えてしまいましたが、
晩年に書いた自叙伝では自身の人生について、
「どうして私は私の全生涯を感謝せずにおれようか」
と語っています。
つらい状況においても
この「ツァラトゥストラはかく語りき」を執筆し、
手売りしてでも世に広めようとしました。

そんなニーチェの
「永遠回帰」「運命愛」の思想は
現代を生きる私たちに生きる希望を与えてくれています。

この記事が
明日からの活力になれれば幸いです。

コメント