シャンソン歌手の故・石井好子さんの著書『巴里の空の下オムレツの匂いは流れる』の続編、『東京の空の下オムレツの匂いは流れる』。
この記事では、石井好子さんに関する個人的な思い出を語ります。
歳の離れた生徒同士
石井好子さんとは、ご存命の時にお会いしたことがあります。
実は石井好子さんとは、同じ声楽の先生に習う、歳の離れた生徒同士でした。
当時、石井好子さんは80代で、私は20代。
プロの石井好子さんと、音大を出たもののほとんど素人の私。
なんの共通点も無いけれど、私はたまたまのご縁で同じ先生のレッスンを受け、ご一緒することになりました。
声楽の先生は石井好子さんの芸大時代の同級生で、石井好子さんはその先生に声のメンテナンスをしてもらっていたようです。
美しい声
ある日、私のレッスンの次が石井好子さんという日がありました。
早めにレッスン室に到着して私の歌声を一通り聴いていた石井好子さんは、レッスンが終わって入れ替わる際、
「あなた、発声練習の時はなんて美しい声だろうと思ったけど、曲になると全然ダメね。」
と一言。
「なんて美しい声」のところを、驚いたような抑揚をつけて言ってくださったので、後半のダメ出しのことは忘れ、私は「なんて美しい声と褒められた!」と、ウキウキしながらレッスン室を後にした記憶があります。
卵と石井好子さんと私
当時の私は石井好子さんについてシャンソン界のすごい人という認識はあったものの、著作のことは知らなかったし、テレビに出るほど有名な人だったことも知りませんでした。
でも、いただいた言葉はずっと大切に心に持ち続けていました。
石井好子さんと私は何の共通点もなかった、と書いたけれど、本当はありました。
それは、卵。
オムレツの本を書いた石井好子さんと、卵が大好きな私。
パリでオムレツを愛した石井好子さんと、初めて作った料理が子ども向けのフランス料理の本に載っていた「びっくりオムレツ」だった私。
びっくりオムレツは、特にびっくりすることは何もないのだけれど、バターとチーズで作るオムレツで、今でも時々作ります。
石井好子さんのレストラン
卵と私というレストランが石井好子さんのレストランだったことも、大学の近くにあってよく通っていたのに知りませんでした。
知っていたら、当時の私は石井好子さんに卵の話をして、仲良くなったでしょうか。
「本も読みました。レストランにも行きました。私も卵が大好きです。」
そしたら石井好子さんのお家にお呼ばれして、オムレツをご馳走になっていたかもしれない。
思わずそんな妄想をしてしまいました。
石井好子さんと本と私
その後、音楽を諦めて東京から地元に帰った私は、声楽の先生とも石井好子さんともお会いすることはなくなりました。
テレビのニュースで石井好子さんの訃報を聞いた時、音楽から離れた自分にほんの少し、胸が痛んだことを覚えています。
でも今は古本屋の私が石井好子さんと本を通して再会していることを思うと、間違いではなかったかもしれません。
石井好子さんも晩年、シャンソン歌手からすっかり料理の人で知られるようになったと著書に書いていました。
人生は変化するもの。
変化しながら続く小さなこのご縁に、感謝したい気持ちになるのです。
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